カテゴリ:La Vita di NESTA( 15 )
La Vita di Nesta 4
La Vita di Alessandro NESTA 3からの続き;

GiovanissimiのProvinciale(地方チーム)の試練を越え、Carmelo Scalaが監督するGuovanissimiへ入る。ネスタのロッククライミングがスタートする。栄光の1990年、ラツィオ内での素晴らしいプレイ:彼とディ・ヴァイオは、新しい宝石としてGiovanileへ移る。そこには長いこと、才能ある者が現れていなかった。1975年の、Carosi率いるPrimaveraがGiordanoやManfredoniaと共にスクデットを獲得して以来。

ScalaのGiovanissimiで、ネスタはMediano(MF)。1991年6月16日、Catanzaro地方のSoveratoにおいて、イタリア・チャンピョンという大勝利を収める。対Padova(2-0)。初めての凱旋、初めてのメダル。そしてまた、ナショナルチーム Under15の召集をも受ける。このシーズン、ネスタはScalaのチームで、Torneo Bastianelli a Fiumicino、Torneo Maestrelli a Pisaにも勝利。

1992年、ラツィオはCristianoとネスタを獲得する。そのとき彼は左サイドバックへ移る。Allieviのチームでは、またしてもScalaが監督。が、その数ヵ月後、Vannozziへ交代する。

ネスタはナショナルチーム Under16から召集。そしてニース、後に試合中膝の靭帯に亀裂を起こすその場所で、ネスタは病院に運ばれる。対フランスの試合で、ネスタは頭に打撃を受け、医師から脳震盪と診断されたのだ。目が覚めたとき、彼の傍らにはディ・ヴァイオが。てっきり、彼の様態を心配して駆けつけてくれたのだと思っていた。が、ディ・ヴァイオも腕を骨折して入院していただけだったのだ。

ラツィオAチームは、Dino Zoffが監督していた。ネスタは時々、合宿所Maestrelliの門をくぐる。それはプレイするためではない、今のところ。
ドクターのコントロールを受けるためであった。そこでSclosaと仲良くなる。その後このディフェンソーレにとって2番目の父親ともいえる存在になる男。元大選手は、サンドロのキャリアに興味を持ち、いろいろと貴重なアドヴァイスを与える。

1992年、ネスタは、Mimmo Caso率いるPrimaveraに入団。その頃のチームメイトには、GKのローマ、MFのCristiano、Napoliani、FWのDi Vaioがいた。Casoは、Gianmarco Calleriからラツィオを買い取ったばかりのCragnottiに起用されたばかりだった。

Casoはネスタにとって人生の師となる。堅く強い関係、これは現在も続いている。現在(2000年)Chievoにいるこの監督に、ネスタは心から感謝を捧げている。

Casoは小さな奇跡を起こす。ラツィオのPrimaveraを、カンピオナートの決勝まで導くのだ。夢は決勝で消える。当時Tacchinardiのいた、Prandelli率いるアタランタに対戦。ローマでの第1戦、3-0でアタランタの勝利。ネスタは出場メンバーに名を連ねていない。ひどいPubalgiaのために欠場。第2戦には出場可能に。しかしScudettoは今や決まったようなものだった。ベルガモ、またしても敗戦、3-0。

1993年、ネスタはプロフェッショナルの世界に入る。Zoffが、Seefeld(オーストリア)の夏の合宿に彼を招集。Superdino(Zoff)は、ネスタの礼賛者となる。彼の持つ才能を理解していたが、またネスタの成長の度合いにも驚かされていた。

1994年3月12日、Zoffは、ネスタをUdineへ移動のメンバーに加える。ラツィオは試合前日を、ホテルDimoretで過ごす。ネスタはSclosaと同室。「クラウディオは彼に、試合に出るだろうと言っていた。」ジュゼッペ・ネスタはそれを思い出す。Sclosaの予言は当たる。試合後半33分、ネスタはCasiraghiの代わりにピッチに立つ。主審はBraschi。ラツィオは2-2で引き分け(ゴールはWinterとSignori)、そして順位は5位に上がる。12分プレイした後、Zoffから称賛を受ける。そして彼に、そのままAチームでトレーニングを続けると伝えられる。

3月27日、Zoffは彼への信頼を再確認する。Delle Alpiでの対トリノに起用。試合後半41分。ネスタはまたしてCasiraghiからの交代。ラツィオのメンバーは、Marchegiani、Bonomi、Bacci、Di Matteo、Di Mauro、Cravero、Luzardi、Bergodi、Signori。そしてそこにはGascoigneも。残酷な運命、4月7日。イギリス人はまさにネスタと激しい交錯を。Gazzaは叫ぶ:脛骨と腓骨の亀裂。GazzaがSan Giacomo(病院)へ運ばれる間、ネスタは泣く。「心配するな。お前のせいじゃない。」Paul(Gascoigne)は、Maestrelliを離れるときに彼に言う。

Part.1終了
La Vita di Alessandro NESTA Ⅱの1へ続く・・・

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by celeste13 | 2005-11-23 23:15 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro NESTA 3
La Vita di Alessandro NESTA 2からの続き;

夏が過ぎる。そしてアレッサンドロはラツィオの新人チームBに入る。
父は明け方家を出てNuovo Salarioへ向かう、サンドロは8:30に学校へ。昼食の時間、彼らはSalvatore Galgano広場で待ち合わせる。
アレッサンドロは、週に2日San Basilioで、またあと2日をPantheon Travelでトレーニングする。小学校での授業は13:30に終了。
「昼飯を取る時間さえ無かった。」パパは語る。
この成功は、家族によって築き上げられたもの。自らを犠牲にし、そして多くのことを諦めながら。
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アレッサンドロ・ネスタの上昇は、その情熱と献身、頑強な意思によるものだった。PuliciやPatarcaによって育てられた夢、彼らはこのCinecitta'の少年の才能に自信を持って賭けていた。
「私の妻も随分苦労した。夜になってから、サンドロの服を洗濯しなければならなかった。冬など時には翌朝までほとんど乾かなかったり。」

共に駆け上がるには厳しい坂道。ネスタは時々、不満そうな表情を見せた。カルチョは好きだ。でも彼の一日はいっぱいいっぱいの予定で埋まっている。心配事も多く、諦めるべきものも多すぎる:この犠牲が、重すぎるように感じていたのだ。そして時々、本気で、この青春を無駄にしてよいものかと悩んでいた。ある部分は、興奮と野心と、それと学校とボール生活を同時進行する必要に、またある部分は、まるで成人のような生活を送らされてしまうつらさ(悔恨)劇的な忙しさ、全く休み無しの。

学校の友人たちは彼を探し、Festa(パーティ)に誘う、または家の前の空き地でカルチョをするため。しかしネスタには時間が無い。
「そうだな、たまにぶーぶー言っていた。あいつには、青春を掃いて捨ててるように感じたんだろう。たくさんの楽しみを諦めざるを得なかったのだ。たとえば、クラスメートたちとの試合は出れない。怪我をする危険があるから。転ぶかもしれない、打撲を受けるかもしれないのだ。」

Patarcaのチームで、アレッサンドロは2年間右ウィングのポジションにいた。監督が彼をセンターへ移すのは、1987年のことである。そのとき、ラツィオはディ・ヴァイオを入団させている。その後サンドロの親友となる男。


戦術的な変容は長期間、このチームで彼は4年間プレイする。それから、Roberto Sesena率いるProvincialeのGiovanissimiへ。
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1989年:ネスタはその1年間を不安と焦りと共に過ごす。14ヶ月の間に、実に22cmも身長が伸びたのだ。それが、彼の体に問題を引き起こす。ストップしなければ、カルチョをやめなければならないかもしれない、この尊大な夢の終わりが目前に。
ラツィオは、彼をBanbin Gesu' di Santa Marinella(小児病院)へ送る。そこで彼は医師たちのあらゆる診察を受ける。数々の検査やレントゲンの結果、脊椎、臀部、膝に炎症が発見された。
つらい時期である。心配は膨れ上がるばかり。強い恐れ。復帰は非常に困難だった。アレッサンドロは中学校に通っていた。キャリアを諦め、すべてを捨ててしまうことを考えていた。
彼の頑強な誇りがしかし、彼を突き動かした。回復。問題は解決。
彼はピッチへ戻るのだった。

・・・つづく。La Vita di Nesta 4

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by celeste13 | 2005-11-23 09:32 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro NESTA 2
La Vita di Alessandro NESTA1からの続き;


後にラツィオのカピターノとなり、ナショナルチームの支柱となるこの少年、彼の家は、Cinecitta'にあるサッカー場のすぐ近くだった。アレッサンドロは、父親からMaestrelli、Chinaglia、Frustalupi、Re Cecconi、そしてPuliciといった英雄たちの話を聴かされながら、週3回カルチョのトレーニングに通った。彼の最初の監督はPiccioniという人物。
ネスタは、すでにスタジアムへ行き、CastagnerやClagunaのラツィオを観戦している。八百長というスキャンダルでBに転落したチーム。

ネスタはCentrocampo(MF)でプレイしていた。そしてCinecitta'は、ローマの傘下にあるチームだった。
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ある日、その時代Dino Viola(当時ローマ会長)の協力者であったFrancesco Roccaが、Valeriani会長から知らせを受ける。ネスタという作品を見に来るようにと。
1985年1月のことである。
Roccaはピッチに現れる。その場所は現在スーパーマーケットが建っている。彼はネスタを、ローマのGiovanileに入団させようと考え、約10,000,000(リラ)のオファーを出す。
「ローマは、あのときほぼアレッサンドロを買い取っていたんだ。」
ジュゼッペ・ネスタは語る。彼はその状況を好ましく思わなかった。交渉はすぐに合意に達する。内容は、サンドロがローマのGiovanissimiに入団できる年齢に達するまであと3~4年、Cinecitta'に残るというものだった。
その見通しは、ラツィオのTifosoとしてのジュゼッペを苦しめる。あのMagliaは、彼にとってひとつの忠誠であった。考え、眠れぬ日を過ごす。Tifosoとしての意識から、決断を避けていた。

アレッサンドロも、ローマの彼への興味を理解していた。ある夜、Cinecitta'のオフィスで、彼はパパとローマ幹部の会話を聴く。金額、10,000,000リラについてを耳にしたとき、彼は、その子供の無邪気な、自然な気持ちのまま、会話に入っていった。
「すみません。そのお金の中から、どれだけ僕の父へ行くんですか?」
答えは冷ややかなものだった。
「1リラも。」

ネスタは反論する。何故ならそれは、ラツィアーレであるからということが少し、また、これがCinecitta'のために有利であり、パパのためではないということで。

ジュゼッペ氏は、ラツィオに話をしてみようと決める。クラブに電話、彼らは
6月半ばにテストが行われると伝える。

アレッサンドロはCinecitta'でプレイを続ける。毎月、ジュゼッペはサンドロとフェルナンドのために60,000リラをCinecitta'に支払い続けていた。暦は進む。

6月13日がやってきた。このディフェンソーレに、くっきりと運命付けられたときが。
アレッサンドロは、パパに連れられ、San BasilioにあるStefaninoサッカー場を訪れた。ラツィオは、1976年生まれの300人の子供たちのために、テストを企画したのだ。ネスタは、PuliciやPatarcaの目の前に現れる。PuliciはGiovanileの責任者、Patarcaはそのチームの監督。

テストに合格する。

その日の夜、ジュゼッペ氏はCinecitta'の幹部たちへ連絡する。
「私の息子は、ラツィオに入団した。」
瞬間、激しい口論になってしまう。
「Valeriani会長は、傷ついたのだ。」


・・・つづくLa Vita di Alessandro NESTA 3

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参考に;
偶然ですが、↑のテストについて、パタルカ氏がコメントしている記事を以前Upしたので、改めてここに。

Patarcaコメント
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by celeste13 | 2005-11-19 21:25 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro NESTA
突然ですが、古いネスタ・ストーリーを翻訳開始することにしました。


実は、私がZefiroの前身であるUno Zefiro da Milanoというページを持っていた頃、日本のファン事情をほとんど知らなかったので、ネットを通してファンの皆さんとお話できたのですが、そのときすでに大勢がネスタのストーリーをご存知でしたし、確か日本の雑誌に、長いネスタ物語が掲載されていたはずです。

また、2004年に現在のZefiro “Nesta, Celeste13”サイトをスタートしたとき、ネスタのオフィシャルがオープンされたばかり、そこではイタリア語と英語でストーリーがUpされていました。

そういういきさつがあって、このサイトは、ネスタ応援サイトなのに、ネスタのデータが意外に少ない。日本のファンへ向けて公開しているとはいえ、私自身が、ほとんどのネスタファンより知識が浅いということもあって、データを書くのは「今更」という気持ちがあり躊躇していました。サイト訪問者にネスタファンが決して多くはないという事実も理由のひとつ。


ワールドカップのプレイオフが終わり、2006年大会の全参加国が決定。
そこで、なんとなく「ネスタ・ストーリーでも、改めてUpしてみるか。」と、思い立ったのでした。

かなり長いので、少しずつ分けて掲載していきます。
以前ファンの方に教えていただいた、ネスタのラツィオ時代のイタリア・ファンサイトの「La Vita di Alessandro Nesta」からの翻訳。 なのでその内容は、ラツィオ時代2000年頃までです。先に書いたように、ネスタをかなり前から応援しているファンの方には、新しいものではありません。

どちらかというと、自分の記録ですね、これ。
それと、これからネスタに興味を持ってくれるファンへ。


かなり久しぶりに読んでみたら、すごく楽しめたので、翻訳する気になりました。

もしよろしかったら、これから不定期に掲載するこのネスタ・ストーリー
“La Vita di Alessandro NESTA” 読んでみてください。

では第一回。こちらから・・・

La Vita di Alessandro NESTA


注)
このストーリーは、おそらく2000年頃のもの。
なので、文章の「現在」は、その頃のことを指しているのでしょう。
通常、オリジナル文にできるだけ忠実に訳すようにしていますが、今回のこれは多少整頓の悪い内容で、ほとんどそのまま訳しますが、日本語にしてみるとちょっとわかりにくいところ多々あり。もちろん、訳する私の力不足も原因です・・・
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by celeste13 | 2005-11-18 09:02 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro NESTA
Roma;
朝10:30、助産婦は、母親の腕にその赤ん坊をすべり込ませた。
一晩中の陣痛の後、この病院Umberto Iにて、Maria Laura(マリアラウラ)夫人は、アレッサンドロを出産。 量りは4,100gを指していた。
1976年、3月19日のことである。

こうして、ネスタのおとぎ話は始まる。

彼の父はGiuseppe(ジュゼッペ)、Nuovo Salarioの駅で鉄道駅員として働いている。が、家計を更に豊かにするため、水の宅配の仕事もしていた。彼の母親は専業主婦。
アレッサンドロは、Fernando(フェルナンド)、Katia(カティア)に続く3番目の子供。
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家族は、Cinecitta’(チネチッタ、ローマ郊外)、Piazza Salvatore Galganoに面したPalazzo(建物)の3階(イタリアのSecondo Piano)に住む。
ジュゼッペは、RietiにあるCollevecchioの一部、Poggio Sommavillaの出身。Collevecchioは人口2,000人、ここで彼は人生の伴侶と出会い、結婚した。ローマへは1971年に移っている。

ラツィオへの愛は常に、ジュゼッペにとって特別な情熱だった。そしてそれはすぐに、アレッサンドロへ受け継がれる。保育園の頃からの話である。

未来のカンピオーネは、小学校“Margherita Bosco”へ入学。初めての「試合」をその頃行うが、その場所は今もう残っていない。現在そこは、Santa Maria Domenica di Mazzarello教会が建っている。

友人たちは家の前にやってきて、インターフォンを鳴らし彼を誘う。戦いを計画するために。そしてそれはいつも、日が暮れるまで続くのだった。

アレッサンドロ・ネスタが実際に「チーム」というものに入るのは8歳のとき。
そのストーリーはおもしろいものだった。
1984年、9月のある午後。彼の兄フェルナンドが背中に問題を抱えていて、フィジオテラピアで治療する必要があった。医者たちはまた、何かひとつスポーツをすることを薦める。水泳はどうだと言われるが、本人が選んだのはカルチョ。ジュゼッペは、フェルナンドを、Cinecitta'のVia Scintuにあるひとつのクラブに連れて行く。彼らに同行していたのが、アレッサンドロである。
ジュゼッペ・ネスタは、そこで、白い髪を短く刈り込んだ人物、責任者のPiniと話をする。そして、フェルナンドを入団させる。
そのシーンを観ていたアレッサンドロは、突然激しく泣き出した。仲間はずれにされたように感じたのである。
「パパ、フェルナンドにプレゼントしたね。僕のことは考えないの?」
彼らは道を歩き始めていた。アレッサンドロは嘆き続ける。そこで、ジュゼッペは、引き返すことにしたのだ。もう一度Pini氏の扉を叩き、更に30000リラを支払う。
その瞬間、アレッサンドロのキャリアが始まったのだ。



つづく・・・La Vita di Alessandro NESTA 2

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by celeste13 | 2005-03-19 10:30 | La Vita di NESTA