カテゴリ:La Vita di NESTA( 15 )
La Vita di Alessandro NESTA 目次 Index
導入

ネスタ・ストーリー
【Ⅰ】
La Vita di Alessandro NESTA
La Vita di Alessandro NESTA 2
La Vita di Alessandro NESTA 3
La Vita di Nesta 4

【Ⅱ】
La Vita di Alessandro NESTA Ⅱの1
La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの2
La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの3
La Vita di Alessandro NESTA Ⅱの4

【Ⅲ】
La Vita di Alessandro NESTA Ⅲの1
La Vita di Alessandro Nesta Ⅲの2
La Vita di Alessandro NESTAⅢの3
La Vita di Alessandro NESTAⅢの4(終)

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by celeste13 | 2006-05-13 17:06 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro NESTAⅢの4
La Vita di Alessandro NESTAⅢの3からの続き。


エリクソンは、ロッカールームで、ラツィオのシーズンは今始まったばかりだということを示す。ネスタは持って生まれた才能。試運転のための親善試合は必要ではなかった。カモミールのような戦いは。ミハイロヴィッチはトリノで出場停止、そしてDelle Alpiではフェルナンド・コウトも欠けている。エリクソンはネスタと話をする。彼に、前の試合後72時間も経っていないのに、更に激しいプレイをできるという自信が本当にあるかと尋ねる。彼、このスペシャルな部類の男は、親指を立てる。

対ユヴェントゥス、12月6日。再び舞台に上がる。左腕にカピターノの腕章:白い布でできた腕章。彼の2度目のデビュー:最も美しく、最も感動的な、最も重要な。膝には傷跡。しかしその切り傷とあの手術は、彼の確信をも傷つけることはなかった。試合開始後2分、インザーギとディ・リヴィオに対するダブルのタックルで、チームメイト全員に落ち着きをもたらした。この瞬間まで、チームに欠けていたそれを。
最早意識を失うことも、テンションが下がることもない:ディフェンス陣は再び光を見つけ出した。

ラツィオはサラスの、マラドーナほどに堂々たるゴールによりDelle Alpiを粉砕。ネスタはこの一年を駄目にしてしまいそうなチームを救った男。パンカロとネグロが、最後にネスタの肩に上る、彼はまた、ラツィオの首脳たちや監督から、道具係、またマッサージ師たちからキッスや抱擁を受ける。彼はしかし、走り去っていく。ラツィアーレのTifosiで埋まった客席の方へ。腕を上げ、彼の聴衆に向かって挨拶を。たった今、彼はその輝かしいキャリアへの聖職禄をまたしても与えられたのだった。

ついこの間の話では、1998-1999シーズンのスクデットを、最終日に失った。しかし素晴らしいCoppa delle Coppeを、1999年5月19日、BirminghamのスタジアムVilla ParkでスペインのチームReal Mallorcaを倒し掲げた。この勝利がそして、BiancoCeleste(ラツィオ)の仲間たちに、Supercoppa Europeaをももたらした。モンテカルロ、8月27日。欧州チャンピョンのManchester Unitedを1-0(サラスのゴール)で倒す。

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そして今ラツィオは、そのカピターノの導きにより、欧州の、そして世界の王者たるチームのひとつとなったことを知る。実に、2000年5月14、18日には、歴史的なドッピエッタ、2つ目のスクデットと3つ目のCoppa Italiaを手にするのである。唯一の後悔は、チャンピョンズリーグを呪われた5-2の試合でスペインのチームValenciaにベスト16で敗退したこと。
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しかしネスタとラツィオは、カルチョにおいて、勝てるものはまだまだ勝ち続ける手段と時間を持っているのだ!!!!! 実に、2000-2001シーズン、2000年9月18日、オリンピコにてイタリアを4-3で倒すという、輝かしいSupercoppa Italianaをネスタとラツィオにプレゼントするという、最良のスタートを切った。

こういう言葉があるだろう・・・始めよければ・・・


ネスタ・ストーリー(ラツィオ編)完了


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by celeste13 | 2006-05-13 16:48 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro NESTAⅢの3
La Vita di Alessandro Nesta Ⅲの2からの続き。


カンピオナートが始まる。エリクソンはネスタが怪我したあの日を呪う。
アレッサンドロの不遇な事故が言い訳にならないことを望んでいた。しかし、世界のどこにも、ネスタほどの価値のディフェンソーレが他に見つからないことは明白だった。
ラツィオはDjetou、モナコのフランス人に注目する。各地を廻り、他の解決策を探す。何故なら、ネグロまでが、右大腿の筋肉トラブルで50日間のストップを余儀なくされたからである。

ネスタの手術を執刀したProfessor Marianiは、彼のめきめきとした回復に驚く。そして10月の終わりにはFormelloに戻り、故障後初めて、チーム内でのミニ試合に参加するのである。
ネスタには夢がある。いつものごとく寡黙を守ったまま、誰にも気づかせず:つまりそれは、復帰を早めること。 
11月10日、Villa Stuart病院にて、最後の診察を受ける。Mariani医師は、彼に診断書を手渡した。ネスタは完治したのだ。苦境を超えたのだ。いまや、再び彼を舞台の上で見るためには、あとほんの少しの時間が必要なだけ:彼の復帰は、この時点ではもはやドクターに委ねられたものではない。彼自身のフィジカルコンディションを待つだけ。

Professor Di Salvoの命令により、アスレチックトレーニングが開始される。新しいアドレナリン噴出に向けてのカウントダウン。
CragnottiがFEDERCALCIOと起こした紛争は? Nizzolaとの昼食のあと、会長(Cragnotti)は訴えを取り下げたのだった。そしてNizzolaと共に、ラツィオ対イタリアの親善試合を企画する:2000年1月にそれは開催された。Biancoceleste(ラツィオ)のクラブ1世紀を祝うため。

ネスタは、エリクソンの夢に火をつけた。このスウェーデン人(エリクソン)も、いまやディフェンソーレの復帰は今日明日の問題だとわかった。
デルビーがある。11月29日。エリクソンは、彼をベンチに置く可能性を考える。監督はしかし、ネスタのグランデな復帰を延期した。周りに左右されることを望まなかったのだ。しかし、アレッサンドロの2度目のBattesimo(デビュー)はすぐそこに見えていた。

12月3日。ネスタは、(Coppa Italia)準々決勝、対インテル戦に召集される。エリクソンは彼を控えとしてメンバー入りさせ、そして試合後半終了間際の10分をプレイさせるのだ。
ネスタがオリンピコのロッカールームからピッチへ向かう階段を上ったとき、Tifosiは祝祭(Festa)に大爆発した。コーロ(歌声)、心のこもったメッセージ、ネスタが歩くと、すぐにカメラマンの山に囲まれた。
ベンチへ座る。興奮してる?ほんの少しだけ。後に、彼はチームメイトたちにそう語っている。
ミハイロヴィッチが怪我。デルビーで起こした大腿の筋違いが再び。フェルナンド・コウトが出る。が、前半の終わりに屈筋を痛める。エリクソン、そこでネスタに言う。ウォームアップしろと。

苦悩と焦燥の日々は終わった:ディフェンソーレは再びスタジアムを胸に抱く。彼の家(ホーム)を。彼の世界に戻ってきた。靭帯損傷から、5ヶ月と10日間を経て。ピッチへ上がり、ラツィオの指揮を再び握る。今までどおりのネスタ:リーダーシップと、(カンピオーネとしての将来を)約束された者の持つスタイルと。タックルを恐れず、怯えること無し。Saint Denisの醜い思い出と戦う必要は無い。ラツィオは、前半を1-1と終えていた。そしてもう一つSalasの真珠(ゴール)で勝利を獲得する。 
で、ネスタは? 拍手と、賞賛と、各紙のトップページが続く。
火星人(超人)の復活への祝典。


つづく・・・La Vita di Alessandro NESTAⅢの4(終)


ネスタ・ストーリー目次 Index

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文中に登場するDi Salvo氏。
これはこちらで記事にしましたね。マンチェスターUNDのイタリア人


おまけ~☆
この1998年時代のちょうどその頃のネスタ画像がうまく見つけられなくて、そんでもって・・・ある意味最も「ラツィオらしさ」を見せてくれてるのがあったので。
笑ってくれる人だけ。

らつぃあ~れ~
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by celeste13 | 2006-05-07 13:06 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro Nesta Ⅲの2
La Vita di Alessandro NESTA Ⅲの1からの続き。


フランス98の年。ネスタの初めてのワールドカップ。
あのZoffがマドリッドのBernabeuでPertini会長の目前で天にコッパを掲げたとき、彼は6歳だった。Zoffは、ネスタを17歳にしてセリエAデビューさせるという勇気を持った男だった。
ディフェンソーレはCovercianoへ現れる。監督のMaldiniはFerraraを失い、このラツィアーレが先発メンバーとなったのだ。
フランスのワールドカップはイタリアにとって、焦燥と緊迫の中に始まる。
Del PieroかBaggioかという問題が不安と議論を生み出す。初戦にチリと引き分けに終わったことが、更に混乱を呼ぶ。

ネスタはこの日、Salasの力強さに出会う。Cragnottiが35,000,000,000リラで獲得した男。マタドールの2ゴールがこの財政家の確実性を増強させ、アレッサンドロのファンタジーは益々爆発、Tifosoのように彼を認めるようになる。

フランスはしかし、アレッサンドロに幸運を呼んではくれない。彼はすでに Under16のとき、酷い脳震盪で病院行きになっている。カメルーン戦勝利の後、6月23日Saint-Denisスタジアムにて、ネスタは右足の靭帯を損傷。
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足の踏み込みが悪く、倒れ、彼は顔を手で覆う。そして担架でピッチを出る。皆にはわかった、事の重大さが。恐ろしい瞬間だった。堅い包帯でドクターたちは足を固定。ネスタはベンチから試合観戦を続ける。その夜行われることになっている電磁波検査が疑惑を遠ざけてくれることを祈りつつ。しかし診断結果は残酷だった:アレッサンドロのワールドカップは終わる。イタリアへ、ローマへ帰らなければならない。手術を受けなければならないのだ。

彼はそれでも負けない。
「神に感謝する。僕の人生にすべてを与えてくれたから。」 その言葉が、ネスタの人間的価値を更に知らしめることになる。
ラツィオ専属医師Bertoliniの診断の後、センターバックはVilla Stuartへ入院。6月26日に手術を執刀したMariani教授は、ネスタが少なくとも6ヶ月のストップであるだろうことを告知。

マルディーニは焼き網に乗せられる。イタリアはフランス・ワールドカップ準々決勝で敗退。PKの賭けにより戦いの舞台を下りるのだ。

ネスタは病院にいる。彼を待つのは険しい昇り坂。しかし彼は落ち込むことなく、彼のキャリアに何度も訪れた決闘にまたしても挑み始める。1ヶ月間をプール、ジム、Fisioterapiaで過ごす。手術によってできた傷の炎症のため、救急病院で小さな手術。ネスタの将来に対して、意地悪な、悪意を持った囁きが広まる。ある者は、真実を知らずして、ディフェンソーレのキャリアそのものさえ危機に陥ったと言う。すべてが嘘、すべてが偽り、ネスタを傷つける。
「これでわかった。本当の友達と、便宜のためだけに自分の周りにいた者たちとの違いが。僕は大丈夫だ。リハビリは予定通りにきっちり進んでいる。全く心配なんかしていない。」
彼は知ったのだ。この世界のもうひとつの顔を。最も醜い部分を。

彼の足の状態から生まれる数々の疑惑に彼は傷つく。しかし彼は鋼鉄の力を持っている。一人で、ジムにこもる:がむしゃらに、必死に、時間との魅惑的な戦いを挑み続ける。チームメイトたちからは精神的に深く支えられる:太く強い帯が彼らとネスタを繋げる。Vigo di Fassaの合宿所、7月。ジョカトーレたちは新しいカピターノの名前を挙げるために集合。全員一致で決定:Fascia(キャプテンマーク)はネスタへ与えられた。マンチーニとファヴァッリはその決定を告知する。
「我々は彼を待っている。早く戻ってきてほしい。我らのリーダーだ。」

ネスタの故障は、Cragnottiをメルカートへ戻らせる。彼はFernando 
Coutoをバルセロナから獲得。ポルトガル人(Couto)はDe la Penaの移籍交渉に加えられた。このセンターのために6,000,000,000リラが用意される。契約は3年。

そしてCragnottiの告知が、周りを驚かせる。彼はF.I.G.C.を告訴するつもりなのだ。「ネスタはナショナルチームで故障したのだ。」
彼の弁護士を通して、会長Nizzolaへ文書が送られる。
前例の無い出来事:Cragnottiは、5月初めから株式市場に登場しているラツィオが経済的に受けた被害を補償するよう訴える。要求補償額はおよそ13,000,000,000リラにも上る。議論が噴出。

ネスタはその騒ぎを眺める、が、彼は関わらない。彼は、このCinecitta’のカンピオーネは、リハビリを続けるのみ。トレーニング、そして再び走り始める。これから長く起きる驚異の始まり。ディフェンソーレはカレンダーを見る。そして沈黙のうちに彼はある計算をする。

8月29日、ラツィオのトリノ移動に同行。Supercoppa Italianaの決勝があるのだ。ネスタはこのユヴェントゥスとの決戦で、Nedvedの、Sergio  Conceicao のゴールを、Manciniのマジカルなプレイを見る。ラツィオは、夏の親善試合の数々で見せた残念な結果の後、突如としてその強さと魅力を取り戻す。

ネスタはトレーニングスーツ姿、Tribunaで準備を整える。最後に、ラツィオが勝利を祝っているとき、彼はピッチに入る。それをTVカメラが捉える。
このアップ映像は、人々の心を掴んだ。Supercoppaは彼の手にも滑り込んだのだった。


つづく・・・La Vita di Alessandro NESTAⅢの3


ネスタ・ストーリー目次 Index

***************

こちらは、怪我のあとのRAIインタビュー映像。
ネスタ・インタビュー

私が初めて「Alessandro NESTA」という人物を知ったのは、この怪我でワールドカップのフランスから早々にイタリアへ帰国したときの記者会見映像でした。
美しかった。
あの映像(または画像)全然見当たらないんですよね。ぜひもう一度見てみたいんだけど。

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by celeste13 | 2006-03-19 00:35 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro NESTA Ⅲの1
ネスタ・ストーリー目次 Index


ローマ:
エッフェル塔の上には大きな時計がある。ワールドカップまでの時間を、分刻みで、秒刻みで進んでいく。5月6日のことだった:パリはCoppa UEFAのファイナルを迎え、そしてフランス98の開催を待っていた。

10000人以上のラツィオのTifosiが、その首都へ向かっていた:チャーター便、電車、車、キャンピングカーなどで。ネスタはほんの数日前にCoppa Italiaのカップにキスをしたばかり。Stadio Olimpicoを英雄として一周。ピッチから出たとき、彼はランニング姿だった。
ラツィオは歴史的な日々を過ごしていた:これほど素晴らしいイヴェントはこれまでに存在しなかったのだ。インテルがいる。偉大な2人の決闘がある:ロナウド対ネスタ。2人のカンピオーネ、2人の象徴。エリクソン率いるチームの滞在するホテルの前にTifosiは掲げる(ホテル支配人の許可を得て)荘厳な旗を。ネスタはすでにラツィオの魂となっていた。大勢の者が、この少年の中に理想と純粋さを伝える力を認める。ネスタは今や名誉と誇りの源となっていた。

しかし5月6日、Parco dei Principiにて、このCinecitta出身の選手は悲しく悔しい夜を迎える。インテルはトロフィーを獲得、試合開始5分でZamoranoにより先制されるのだ。ラツィオは疲れていた:カンピオナートの疾走がここへきてツケとなって返ってきた。ストレス、疲労、あの12月13日から4月5日までの24の連続した有効な結果が。もうチームは輝いていなかった。アスレチックとしてのフレッシュさが無くなっていた。
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ネスタの首には最後、銀のメダルがかかっていた。Nedovedは大泣きに泣いた。ディフェンソーレ(ネスタ)は慰める。それは心に残るシーン、そのMFが涙を渇かす間、ネスタは彼をなでてやっていた。
ラツィオのTifosiはそれでも同じくお祭り騒ぎ。歌い騒ぐ。最終的には、チームは彼らに1年間の興奮をプレゼントしてくれたんだから。

唯一の後悔はカンピオナートだった。Coppaに集中してしまい、どちらかを選択せざるを得なかった。ラツィオは45日間のうちに2位から7位へ落ちた。Cragnottiは激怒する。


続く・・・La Vita di Alessandro Nesta Ⅲの2

************************************

これって、この頃の画像ですかね。
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by celeste13 | 2006-03-04 08:29 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro NESTA Ⅱの4
La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの3からの続き


驚きはしかしここでは終わらない。
Sacchiがイングランドでのヨーロッパ選手権の準備にとりかかっていた。
クレモナ、5月29日、ベルギーとの親善試合(2-2)にて、ユヴェンティーノのフェッラーラが大腿の肉離れのためストップ。ドクターたちはサッキに、フェッラーラのイングランド行きを止める。復帰まではおそらく3週間はかかるだろうと監督に伝えるのだ。
こうして、ネスタは急遽召集される。バルセロナからロンドンへ、Under21からナショナルAチームへ。

ネスタはChesterの練習所で皆を驚かせる:サッキの戦術をすぐに同化、運命ある者の円熟と才能を兼ね備えていた。CT(監督)はしかし、リスクを冒すことをしない。すでにロシアには勝利していたヨーロッパ選手権第2試合、ネスタをベンチへ置く。このミスに、生涯悔やむことになる。Nedvedのプレイするチェコとの戦いで、Apolloniが30分で退場処分。イタリア敗戦(1-2)、そしてグループリーグを勝ち抜くことさえできない。

その後すぐ、ネスタはAtlantaのオリンピックへ出発:不運な冒険、マルディーニのチームは表彰台へ上ることができない。

Maglia Azzurraからラツィオへ、チェコにあるFrantiskovy Lazneの練習所、そこはZemanが選択した場所。ネスタはAtlantaから遅れて合流、最後の5日間を過ごす。このボヘミア人の監督はラツィオを彼の希望通りに築き上げていた。そのために多くのビッグネームを排除してもいる:Boksic、Di Matteo、そしてWinter。
チームはなかなかまとまらない。Coppa UEFAでは2次リーグで敗退する。Tenerifeに敗戦、試合後には、チームの長官たちとボヘミアンの監督の間にあるヒビが決定的なものとなる。

ネスタはその頃、ついにナショナルAチームにデビューする。サッキは彼をMoldova戦の先発として起用(96年10月5日)。アレッサンドロは舞台を支配する。

その間ラツィオはばらばらに。そしてCragnottiはZemanを解雇せざるを得ない(1月27日)。
ボヘミア人監督を引き継いだのはZoff。プレジデントがその「義務と愛」のためにベンチに立つ。Superdino(ゾフ)と共にラツィオは生まれ変わる。降格ゾーンから、一気に高いポジションへ順位を上げ、最後には4位に。
この成果はまた、ネスタの力でもある。ディフェンス陣における真実のリーダー。そうして、ゾフはまた会長の椅子へ戻る。

Cragnottiは監督としてErikssonを獲得する。
スウェーデン人はローマに到着した直後に気づく。ネスタがラツィオの魂であろうことを。97-98年のシーズンは、アレッサンドロにとって決定的な奉納式となる。Franz Beckenbauer風の駆け上がりで、プロとして初ゴールを決める。1997年9月17日のことだった。ラツィオはポルトガルのGuimaraesで勝利(4-0)、相手はVitoria。そしてネスタは4つ目のゴールを決める:ピッチ中盤からスタート、Dribblingで3人の敵を抜き去り、GKを越える柔らかいループシュート。TVカメラが追うネスタはベンチを振り向き微笑む。「これは価値が無いね。」ジョークである。なぜならそれまでチームメイトたちは、彼がゴールを決められないと苛めていたのだから。

ラツィオはエリクソンと共に、スクデットにまで近づく。ユヴェントゥスに対する魅力的な追撃。だがそれは4月の初めに夢と消える。
この1ヶ月間はしかし、すべての者の記憶に残ることだろう。ラツィオは4月29日にStadio OlimpicoにてCoppa Italiaを獲得。実に24年間、祭りが訪れていなかったのだ。24年間も、Tifosiはため息をつき続けてきたのだ。Chinagliaのスクデットを思い出しながら:Long Johnのラツィオ、ネスタはその様子をパパ・ジュゼッペから聞き知っていた。
ラツィオはミランを3-1で粉砕。そしてネスタ、このCinecitta'で育った少年、85年にPuliciやPatarcaにSan BasilioのStefaninoスタジアムで見出された彼は、ここで何よりも渇望していたゴールを決めた。
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黄金の夜。ParioliのレストランでCragnottiとErikssonはCoppaからシャンパンを飲み干す。

そして、これまで以上に、ラツィオはネスタのものに・・・
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La Vita di Alessandro NESTA Ⅱ 終 

Ⅲへ続く・・・La Vita di Alessandro NESTA Ⅲの1

ちょこっとおまけに、↑のシーンをヴィデオで;
Nesta Goal

ネスタストーリー目次 Index

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☆☆☆
あんまり甘い雰囲気苦手とする私ですが・・・
今日のこれが、私のファンとしてのSan Valentinoですかね。
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by celeste13 | 2006-02-14 23:36 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの3
La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの2からの続き

1995年の7月、ラツィオは日本へ向けて出発する。行き先は、キロロ。
ネスタは、すでにゼーマンが練習所最初の3日間に持ち込んでいた茹で野菜とジャガイモのダイエット法Wash-outを知っていた。
太陽の昇る国で、Abtwillから1年を隔て、ネスタはすでにラツィオの大黒柱になっていた。彼には13番が与えられる。パーソナル・ナンバー時代の到来。

第5節、ローマとのデルビー(0-0)から、ゼーマンは彼をカンピオナートの先発に昇格。10月はじめのことだった。ネスタは筋肉の故障から復帰したばかり、その怪我は8月にアルゼンチンのSan Lorenzo de Almagroとの親善試合で負っている。ヨーロッパ・デビューは? ラツィオ対Borussia Dortmund第一戦(95年2月28日)にてベンチ入りしてから、ネスタは9月26日、Coppa UEFAにて初登場している。ゼーマンはそのNicosiaでの試合にネスタを挿入する。試合は2-1で勝利:祝いはダブル、なぜなら、このキプロスでの試合、ネスタと共に育ってきたマルコ・ディヴァイオもゴールを決めている。BiancoCelesteのこのチームはしかし、ヨーロッパではそう先へ進めない。次のリーグでOlympique Lioneに敗退。

彼はFormelloにアパートメントを借りる。同居人はGrandoni。
11月はじめ、カンピオナートは休みに入り、ネスタはCollevecchioの友人たちと共にエルバ島へ渡る。2~3日のヴァカンスを過ごすために。
彼の携帯へ電話が入る。ラツィオの本部からの通達で、彼がナショナルチームUnder21に召集されたというものだった。ネスタはローマに戻る。スーツケースを用意し、Borghesiaの練習所へ現れる。

彼を待っているのはCesare Maldini。彼はネスタを11月10日Materaにて対ウクライナ戦で起用している。ユーロ選手権本選出場を決める試合だった。ネスタは5バックの一人として、Panucci、Cannavaro、Galante、Fresiと共に出場している。イタリアの結果は2-1:AmetranoのゴールとKroukovetsのオウンゴール。
その日から、ネスタのMaglia Azzurra(青いユニフォーム)のアドヴェンチャーが始まる。

ラツィオは? カンピオナートを3位で終え、Coppa UEFAの出場権を得る。チームメイトたちは海へ、しかしネスタはUnder21のユーロ選手権へ参加。優勝を賭けてスペインと対戦、5月30日、バルセロナ。そこでネスタはDe la Penaと対戦している。3年後にラツィオへやってくる選手。
金メダルはPKによってもたらされた。ネスタもゴールの前に立ちボールを蹴っている。最後から2番目の順番で。ネスタは決める、そしてMorfeoの番:彼もゴール。マルディーニのイタリアはヨーロッパチャンピョンとなる。
ネスタはそして、大会最優秀ディフェンソーレとして選出される。

驚きはしかし、ここでは終わらない。


つづく・・・La Vita di Alessandro NESTA Ⅱの4


ネスタストーリー目次 Index

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by celeste13 | 2006-01-31 08:00 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの2
La Vita di Alessandro NESTA Ⅱの1からの続き


一気にポピュラーな存在になったネスタは、ビッグクラブからの注目を集め始める:ミランやユヴェントゥスの。特にベルルスコーニは、彼を執拗に勧誘していた。ラツィオとの交渉を進めようと努め、ラツィオは彼らのカンピオーネを放出するという可能性を拒否している。ベルルスコーニは、ネスタをFranco Baresiの後継者と確信している、が、これはクラニョッティ(当時ラツィオ会長)には納得できないもの。

ネスタは'94-95のシーズン、Mimmo Casoの率いるPrimaveraでも何試合か出場。そして6月24日、オリンピコ・スタジアムにて、ネスタは、その頃セリエAで3ゴールを決めZemanが強く推していた彼の双子の兄弟Di Vaioとともに、Casoのチームをスクデット獲得へ導く。
試合を決めたのはIannuzziのFK。後半戦最後のこのGiannattasio率いるPerugiaとのファイナル、4万人の聴衆。ネスタは泣く。感極まりCasoを抱きしめる。監督は非常に厳しいシチュエーションにいたのだった。彼は癌を患っていた。化学治療により体はぼろぼろだった。ネスタは、彼に多くのことを教え、助け、支えてきたこの監督を慕っていた。
ある日差しの強い暑い日、コンフェレンス・ホールでのネスタは、その想いを隠さず語る。
「Casoは健康を患っていた。僕たちは最初、彼が何か健康上に問題を抱えているとしか考えていなかった。あとになって、その病の重さを知らされたんだ。」
カルチョというジャングルの複雑な環境の中で、ネスタはCasoにもう一人のパパを見たのだった。彼はこの勝利(Scudetto)を、心から監督に捧げたのである。

イタリアはネスタを語り始める。彼のクオリティ、ピッチ上での指揮力、そして彼のスタイルを。ローマではこの若者のキャパシティが問われ始める。名声と大衆性、契約、スポンサー・・・。ローマというところは危険な街で、あらゆる魅惑で才能を潰してしまうと言われている。ディスコや夜のさまざまな遊びで。
ネスタはそれを耳にする。ある日彼は語った。
「ローマの者でも、高いレベルへ上がるために北へ行く必要が無いということを僕は証明しよう。」
これは決闘ではない。が、決然としたメッセージだった。多くの若いカルチャトーレたちのように、犠牲になることは決してないという。
ネスタは違った:謙虚で、穏やかな生活を営み、誠実で、思慮深い男。自惚れの罠に堕ちることはない。毎試合後、プレイを振り返り反省するのだった。


つづく・・・La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの3


ネスタ・ストーリー目次 Index

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追記;
ネスタが慕うCaso(カーゾ)氏ですが、先シーズンラツィオの監督の座を離れてから、時々Controcampoのゲストとして出演しています。
実はあんまり華のあるタイプではないので、こういう大手メディアでコメンテーターするのはちょっと意外ですが、それでも彼の姿を見れるのはホッとします。
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by celeste13 | 2006-01-20 23:43 | La Vita di NESTA
La Vita di Alessandro NESTA Ⅱの1
ネスタ・ストーリー目次 Index

ローマ。Collevecchio(コッレヴェッキオ)のアンティークな家で、彼はいつもヴァカンスを過ごす。家族と。彼の両親、姉のKatia、兄のFernando、ローマ・フィレンツェ間の高速でガソリンスタンドをやっている兄と。
Rietiの郊外に位置するCollevecchioには、アレッサンドロ・ネスタの最も親しい友人たちが住んでいる。このディフェンソーレがセリエAにデビューした後、1994年3月13日のことだが、Collevecchioの4人の若者が、Maetrelliの練習所を訪れ、彼に盾をプレゼントした。この小さなグループを率いているのはAntonio Cerri、法学をやっている。他の3人の名はSimone、Maurizio、Claudio。ネスタは彼らを幼少時代から知っていて、彼らをとても大事に思っている。

94年の夏、Giuseppe氏、アレッサンドロのパパがCollevecchioで、昔からよく知っている元村長や2人の医学教授とカードで遊ぶ間、Centrale(ネスタ)は、ラツィオの練習所にいた。ゾフはその頃、マネージャーとしてデスクで仕事をする立場を終え、クラブの会長に就任していた。ベンチには、Foggiaで魔術を見せたZemanがやってきた。ネスタはスイスで、この新しい監督とトレーニングを行う。いまや、「将来有望」という存在ではない:彼の価値は確実なものである。ネスタはゾーン・プレイを学び、4-3-3を試行する。それはすぐにゼーマンの目に留まる。しかし監督は、あまりプレッシャーをかけずに育てるほうを望む。Aチームと練習、Chamotには、深い憧れをもって信頼していた。

95年1月15日、オリンピコでの試合で、ゼーマンはネスタを、故障したファヴァッリの代わりに召集する。試合前半29分、「ほんの少しだけ無神経になったことで、緊張をほぐすことができた。」彼は、ラツィオがFoggiaを粉砕(7-1)した後、ロッカールームでそう語っている。セリエAで、初めて先発としての試合は、しかしその2週間後にやってくる:1月29日。ユニフォームは2番を着る。ネスタの試験はポジティヴ、しかしラツィオはホームでバーリに負ける(1-2)。全員が、CragnottiからZemanまで、そのとき、ここにはとてつもない宝物がいることを確信する。

見習い期間を経た後、第22節から、アレッサンドロは力強く成長し始める。Fiorentina戦勝利(8-2)においての主役の一人となった。また、シーズンの輝かしい最終試合でも、彼は素晴らしいプレイを見せた。その年ラツィオはユヴェントゥスに次いで2位の成績を収めている。
ネスタはまた、後半戦のデルビーにも出場、試合はCasiraghiとSignoriのゴールにより2-0で勝利している。Curva Nordの下へ行き、ガラスのガードへ向かって両手の拳を突き上げ、Maglia(ユニフォーム)を放り投げる。彼は一躍、ポピュラーな存在になっていた。


つづく・・・La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの2

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by celeste13 | 2006-01-14 00:13 | La Vita di NESTA
La Vita di Nesta
パソコンが動かなくなってしまったために、いろんな企画が途中でストップしちゃって残念でたまらんのですが、これ、ネスタ・ストーリーの続きを、実はパソコンが駄目になる直前に記事Upだけしてあったのです。
これだけでも、翻訳し直しせずに済んでホッとしているのだ。
La Vita di Nesta 4

これで、La Vita di Nestaのパート1終了です。
残りは、マジにパソコン復活してから・・・いつのことになるのやら・・・
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by celeste13 | 2005-12-25 00:13 | La Vita di NESTA