La Vita di Alessandro NESTAⅢの3
La Vita di Alessandro Nesta Ⅲの2からの続き。


カンピオナートが始まる。エリクソンはネスタが怪我したあの日を呪う。
アレッサンドロの不遇な事故が言い訳にならないことを望んでいた。しかし、世界のどこにも、ネスタほどの価値のディフェンソーレが他に見つからないことは明白だった。
ラツィオはDjetou、モナコのフランス人に注目する。各地を廻り、他の解決策を探す。何故なら、ネグロまでが、右大腿の筋肉トラブルで50日間のストップを余儀なくされたからである。

ネスタの手術を執刀したProfessor Marianiは、彼のめきめきとした回復に驚く。そして10月の終わりにはFormelloに戻り、故障後初めて、チーム内でのミニ試合に参加するのである。
ネスタには夢がある。いつものごとく寡黙を守ったまま、誰にも気づかせず:つまりそれは、復帰を早めること。 
11月10日、Villa Stuart病院にて、最後の診察を受ける。Mariani医師は、彼に診断書を手渡した。ネスタは完治したのだ。苦境を超えたのだ。いまや、再び彼を舞台の上で見るためには、あとほんの少しの時間が必要なだけ:彼の復帰は、この時点ではもはやドクターに委ねられたものではない。彼自身のフィジカルコンディションを待つだけ。

Professor Di Salvoの命令により、アスレチックトレーニングが開始される。新しいアドレナリン噴出に向けてのカウントダウン。
CragnottiがFEDERCALCIOと起こした紛争は? Nizzolaとの昼食のあと、会長(Cragnotti)は訴えを取り下げたのだった。そしてNizzolaと共に、ラツィオ対イタリアの親善試合を企画する:2000年1月にそれは開催された。Biancoceleste(ラツィオ)のクラブ1世紀を祝うため。

ネスタは、エリクソンの夢に火をつけた。このスウェーデン人(エリクソン)も、いまやディフェンソーレの復帰は今日明日の問題だとわかった。
デルビーがある。11月29日。エリクソンは、彼をベンチに置く可能性を考える。監督はしかし、ネスタのグランデな復帰を延期した。周りに左右されることを望まなかったのだ。しかし、アレッサンドロの2度目のBattesimo(デビュー)はすぐそこに見えていた。

12月3日。ネスタは、(Coppa Italia)準々決勝、対インテル戦に召集される。エリクソンは彼を控えとしてメンバー入りさせ、そして試合後半終了間際の10分をプレイさせるのだ。
ネスタがオリンピコのロッカールームからピッチへ向かう階段を上ったとき、Tifosiは祝祭(Festa)に大爆発した。コーロ(歌声)、心のこもったメッセージ、ネスタが歩くと、すぐにカメラマンの山に囲まれた。
ベンチへ座る。興奮してる?ほんの少しだけ。後に、彼はチームメイトたちにそう語っている。
ミハイロヴィッチが怪我。デルビーで起こした大腿の筋違いが再び。フェルナンド・コウトが出る。が、前半の終わりに屈筋を痛める。エリクソン、そこでネスタに言う。ウォームアップしろと。

苦悩と焦燥の日々は終わった:ディフェンソーレは再びスタジアムを胸に抱く。彼の家(ホーム)を。彼の世界に戻ってきた。靭帯損傷から、5ヶ月と10日間を経て。ピッチへ上がり、ラツィオの指揮を再び握る。今までどおりのネスタ:リーダーシップと、(カンピオーネとしての将来を)約束された者の持つスタイルと。タックルを恐れず、怯えること無し。Saint Denisの醜い思い出と戦う必要は無い。ラツィオは、前半を1-1と終えていた。そしてもう一つSalasの真珠(ゴール)で勝利を獲得する。 
で、ネスタは? 拍手と、賞賛と、各紙のトップページが続く。
火星人(超人)の復活への祝典。


つづく・・・La Vita di Alessandro NESTAⅢの4(終)


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文中に登場するDi Salvo氏。
これはこちらで記事にしましたね。マンチェスターUNDのイタリア人


おまけ~☆
この1998年時代のちょうどその頃のネスタ画像がうまく見つけられなくて、そんでもって・・・ある意味最も「ラツィオらしさ」を見せてくれてるのがあったので。
笑ってくれる人だけ。




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もうね、何回も繰り返してますけど・・・尊敬します。ロマニスタの皆さん。
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by celeste13 | 2006-05-07 13:06 | La Vita di NESTA
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