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La Vita di Alessandro Nesta Ⅲの2
La Vita di Alessandro NESTA Ⅲの1からの続き。


フランス98の年。ネスタの初めてのワールドカップ。
あのZoffがマドリッドのBernabeuでPertini会長の目前で天にコッパを掲げたとき、彼は6歳だった。Zoffは、ネスタを17歳にしてセリエAデビューさせるという勇気を持った男だった。
ディフェンソーレはCovercianoへ現れる。監督のMaldiniはFerraraを失い、このラツィアーレが先発メンバーとなったのだ。
フランスのワールドカップはイタリアにとって、焦燥と緊迫の中に始まる。
Del PieroかBaggioかという問題が不安と議論を生み出す。初戦にチリと引き分けに終わったことが、更に混乱を呼ぶ。

ネスタはこの日、Salasの力強さに出会う。Cragnottiが35,000,000,000リラで獲得した男。マタドールの2ゴールがこの財政家の確実性を増強させ、アレッサンドロのファンタジーは益々爆発、Tifosoのように彼を認めるようになる。

フランスはしかし、アレッサンドロに幸運を呼んではくれない。彼はすでに Under16のとき、酷い脳震盪で病院行きになっている。カメルーン戦勝利の後、6月23日Saint-Denisスタジアムにて、ネスタは右足の靭帯を損傷。
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足の踏み込みが悪く、倒れ、彼は顔を手で覆う。そして担架でピッチを出る。皆にはわかった、事の重大さが。恐ろしい瞬間だった。堅い包帯でドクターたちは足を固定。ネスタはベンチから試合観戦を続ける。その夜行われることになっている電磁波検査が疑惑を遠ざけてくれることを祈りつつ。しかし診断結果は残酷だった:アレッサンドロのワールドカップは終わる。イタリアへ、ローマへ帰らなければならない。手術を受けなければならないのだ。

彼はそれでも負けない。
「神に感謝する。僕の人生にすべてを与えてくれたから。」 その言葉が、ネスタの人間的価値を更に知らしめることになる。
ラツィオ専属医師Bertoliniの診断の後、センターバックはVilla Stuartへ入院。6月26日に手術を執刀したMariani教授は、ネスタが少なくとも6ヶ月のストップであるだろうことを告知。

マルディーニは焼き網に乗せられる。イタリアはフランス・ワールドカップ準々決勝で敗退。PKの賭けにより戦いの舞台を下りるのだ。

ネスタは病院にいる。彼を待つのは険しい昇り坂。しかし彼は落ち込むことなく、彼のキャリアに何度も訪れた決闘にまたしても挑み始める。1ヶ月間をプール、ジム、Fisioterapiaで過ごす。手術によってできた傷の炎症のため、救急病院で小さな手術。ネスタの将来に対して、意地悪な、悪意を持った囁きが広まる。ある者は、真実を知らずして、ディフェンソーレのキャリアそのものさえ危機に陥ったと言う。すべてが嘘、すべてが偽り、ネスタを傷つける。
「これでわかった。本当の友達と、便宜のためだけに自分の周りにいた者たちとの違いが。僕は大丈夫だ。リハビリは予定通りにきっちり進んでいる。全く心配なんかしていない。」
彼は知ったのだ。この世界のもうひとつの顔を。最も醜い部分を。

彼の足の状態から生まれる数々の疑惑に彼は傷つく。しかし彼は鋼鉄の力を持っている。一人で、ジムにこもる:がむしゃらに、必死に、時間との魅惑的な戦いを挑み続ける。チームメイトたちからは精神的に深く支えられる:太く強い帯が彼らとネスタを繋げる。Vigo di Fassaの合宿所、7月。ジョカトーレたちは新しいカピターノの名前を挙げるために集合。全員一致で決定:Fascia(キャプテンマーク)はネスタへ与えられた。マンチーニとファヴァッリはその決定を告知する。
「我々は彼を待っている。早く戻ってきてほしい。我らのリーダーだ。」

ネスタの故障は、Cragnottiをメルカートへ戻らせる。彼はFernando 
Coutoをバルセロナから獲得。ポルトガル人(Couto)はDe la Penaの移籍交渉に加えられた。このセンターのために6,000,000,000リラが用意される。契約は3年。

そしてCragnottiの告知が、周りを驚かせる。彼はF.I.G.C.を告訴するつもりなのだ。「ネスタはナショナルチームで故障したのだ。」
彼の弁護士を通して、会長Nizzolaへ文書が送られる。
前例の無い出来事:Cragnottiは、5月初めから株式市場に登場しているラツィオが経済的に受けた被害を補償するよう訴える。要求補償額はおよそ13,000,000,000リラにも上る。議論が噴出。

ネスタはその騒ぎを眺める、が、彼は関わらない。彼は、このCinecitta’のカンピオーネは、リハビリを続けるのみ。トレーニング、そして再び走り始める。これから長く起きる驚異の始まり。ディフェンソーレはカレンダーを見る。そして沈黙のうちに彼はある計算をする。

8月29日、ラツィオのトリノ移動に同行。Supercoppa Italianaの決勝があるのだ。ネスタはこのユヴェントゥスとの決戦で、Nedvedの、Sergio  Conceicao のゴールを、Manciniのマジカルなプレイを見る。ラツィオは、夏の親善試合の数々で見せた残念な結果の後、突如としてその強さと魅力を取り戻す。

ネスタはトレーニングスーツ姿、Tribunaで準備を整える。最後に、ラツィオが勝利を祝っているとき、彼はピッチに入る。それをTVカメラが捉える。
このアップ映像は、人々の心を掴んだ。Supercoppaは彼の手にも滑り込んだのだった。


つづく・・・La Vita di Alessandro NESTAⅢの3


ネスタ・ストーリー目次 Index

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こちらは、怪我のあとのRAIインタビュー映像。
ネスタ・インタビュー

私が初めて「Alessandro NESTA」という人物を知ったのは、この怪我でワールドカップのフランスから早々にイタリアへ帰国したときの記者会見映像でした。
美しかった。
あの映像(または画像)全然見当たらないんですよね。ぜひもう一度見てみたいんだけど。

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by celeste13 | 2006-03-19 00:35 | La Vita di NESTA
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