La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの3
La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの2からの続き

1995年の7月、ラツィオは日本へ向けて出発する。行き先は、キロロ。
ネスタは、すでにゼーマンが練習所最初の3日間に持ち込んでいた茹で野菜とジャガイモのダイエット法Wash-outを知っていた。
太陽の昇る国で、Abtwillから1年を隔て、ネスタはすでにラツィオの大黒柱になっていた。彼には13番が与えられる。パーソナル・ナンバー時代の到来。

第5節、ローマとのデルビー(0-0)から、ゼーマンは彼をカンピオナートの先発に昇格。10月はじめのことだった。ネスタは筋肉の故障から復帰したばかり、その怪我は8月にアルゼンチンのSan Lorenzo de Almagroとの親善試合で負っている。ヨーロッパ・デビューは? ラツィオ対Borussia Dortmund第一戦(95年2月28日)にてベンチ入りしてから、ネスタは9月26日、Coppa UEFAにて初登場している。ゼーマンはそのNicosiaでの試合にネスタを挿入する。試合は2-1で勝利:祝いはダブル、なぜなら、このキプロスでの試合、ネスタと共に育ってきたマルコ・ディヴァイオもゴールを決めている。BiancoCelesteのこのチームはしかし、ヨーロッパではそう先へ進めない。次のリーグでOlympique Lioneに敗退。

彼はFormelloにアパートメントを借りる。同居人はGrandoni。
11月はじめ、カンピオナートは休みに入り、ネスタはCollevecchioの友人たちと共にエルバ島へ渡る。2~3日のヴァカンスを過ごすために。
彼の携帯へ電話が入る。ラツィオの本部からの通達で、彼がナショナルチームUnder21に召集されたというものだった。ネスタはローマに戻る。スーツケースを用意し、Borghesiaの練習所へ現れる。

彼を待っているのはCesare Maldini。彼はネスタを11月10日Materaにて対ウクライナ戦で起用している。ユーロ選手権本選出場を決める試合だった。ネスタは5バックの一人として、Panucci、Cannavaro、Galante、Fresiと共に出場している。イタリアの結果は2-1:AmetranoのゴールとKroukovetsのオウンゴール。
その日から、ネスタのMaglia Azzurra(青いユニフォーム)のアドヴェンチャーが始まる。

ラツィオは? カンピオナートを3位で終え、Coppa UEFAの出場権を得る。チームメイトたちは海へ、しかしネスタはUnder21のユーロ選手権へ参加。優勝を賭けてスペインと対戦、5月30日、バルセロナ。そこでネスタはDe la Penaと対戦している。3年後にラツィオへやってくる選手。
金メダルはPKによってもたらされた。ネスタもゴールの前に立ちボールを蹴っている。最後から2番目の順番で。ネスタは決める、そしてMorfeoの番:彼もゴール。マルディーニのイタリアはヨーロッパチャンピョンとなる。
ネスタはそして、大会最優秀ディフェンソーレとして選出される。

驚きはしかし、ここでは終わらない。


つづく・・・La Vita di Alessandro NESTA Ⅱの4


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by celeste13 | 2006-01-31 08:00 | La Vita di NESTA
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