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La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの2
La Vita di Alessandro NESTA Ⅱの1からの続き


一気にポピュラーな存在になったネスタは、ビッグクラブからの注目を集め始める:ミランやユヴェントゥスの。特にベルルスコーニは、彼を執拗に勧誘していた。ラツィオとの交渉を進めようと努め、ラツィオは彼らのカンピオーネを放出するという可能性を拒否している。ベルルスコーニは、ネスタをFranco Baresiの後継者と確信している、が、これはクラニョッティ(当時ラツィオ会長)には納得できないもの。

ネスタは'94-95のシーズン、Mimmo Casoの率いるPrimaveraでも何試合か出場。そして6月24日、オリンピコ・スタジアムにて、ネスタは、その頃セリエAで3ゴールを決めZemanが強く推していた彼の双子の兄弟Di Vaioとともに、Casoのチームをスクデット獲得へ導く。
試合を決めたのはIannuzziのFK。後半戦最後のこのGiannattasio率いるPerugiaとのファイナル、4万人の聴衆。ネスタは泣く。感極まりCasoを抱きしめる。監督は非常に厳しいシチュエーションにいたのだった。彼は癌を患っていた。化学治療により体はぼろぼろだった。ネスタは、彼に多くのことを教え、助け、支えてきたこの監督を慕っていた。
ある日差しの強い暑い日、コンフェレンス・ホールでのネスタは、その想いを隠さず語る。
「Casoは健康を患っていた。僕たちは最初、彼が何か健康上に問題を抱えているとしか考えていなかった。あとになって、その病の重さを知らされたんだ。」
カルチョというジャングルの複雑な環境の中で、ネスタはCasoにもう一人のパパを見たのだった。彼はこの勝利(Scudetto)を、心から監督に捧げたのである。

イタリアはネスタを語り始める。彼のクオリティ、ピッチ上での指揮力、そして彼のスタイルを。ローマではこの若者のキャパシティが問われ始める。名声と大衆性、契約、スポンサー・・・。ローマというところは危険な街で、あらゆる魅惑で才能を潰してしまうと言われている。ディスコや夜のさまざまな遊びで。
ネスタはそれを耳にする。ある日彼は語った。
「ローマの者でも、高いレベルへ上がるために北へ行く必要が無いということを僕は証明しよう。」
これは決闘ではない。が、決然としたメッセージだった。多くの若いカルチャトーレたちのように、犠牲になることは決してないという。
ネスタは違った:謙虚で、穏やかな生活を営み、誠実で、思慮深い男。自惚れの罠に堕ちることはない。毎試合後、プレイを振り返り反省するのだった。


つづく・・・La Vita di Alessandro Nesta Ⅱの3


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追記;
ネスタが慕うCaso(カーゾ)氏ですが、先シーズンラツィオの監督の座を離れてから、時々Controcampoのゲストとして出演しています。
実はあんまり華のあるタイプではないので、こういう大手メディアでコメンテーターするのはちょっと意外ですが、それでも彼の姿を見れるのはホッとします。
by celeste13 | 2006-01-20 23:43 | La Vita di NESTA
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