La Vita di Alessandro NESTA 3
La Vita di Alessandro NESTA 2からの続き;

夏が過ぎる。そしてアレッサンドロはラツィオの新人チームBに入る。
父は明け方家を出てNuovo Salarioへ向かう、サンドロは8:30に学校へ。昼食の時間、彼らはSalvatore Galgano広場で待ち合わせる。
アレッサンドロは、週に2日San Basilioで、またあと2日をPantheon Travelでトレーニングする。小学校での授業は13:30に終了。
「昼飯を取る時間さえ無かった。」パパは語る。
この成功は、家族によって築き上げられたもの。自らを犠牲にし、そして多くのことを諦めながら。
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アレッサンドロ・ネスタの上昇は、その情熱と献身、頑強な意思によるものだった。PuliciやPatarcaによって育てられた夢、彼らはこのCinecitta'の少年の才能に自信を持って賭けていた。
「私の妻も随分苦労した。夜になってから、サンドロの服を洗濯しなければならなかった。冬など時には翌朝までほとんど乾かなかったり。」

共に駆け上がるには厳しい坂道。ネスタは時々、不満そうな表情を見せた。カルチョは好きだ。でも彼の一日はいっぱいいっぱいの予定で埋まっている。心配事も多く、諦めるべきものも多すぎる:この犠牲が、重すぎるように感じていたのだ。そして時々、本気で、この青春を無駄にしてよいものかと悩んでいた。ある部分は、興奮と野心と、それと学校とボール生活を同時進行する必要に、またある部分は、まるで成人のような生活を送らされてしまうつらさ(悔恨)劇的な忙しさ、全く休み無しの。

学校の友人たちは彼を探し、Festa(パーティ)に誘う、または家の前の空き地でカルチョをするため。しかしネスタには時間が無い。
「そうだな、たまにぶーぶー言っていた。あいつには、青春を掃いて捨ててるように感じたんだろう。たくさんの楽しみを諦めざるを得なかったのだ。たとえば、クラスメートたちとの試合は出れない。怪我をする危険があるから。転ぶかもしれない、打撲を受けるかもしれないのだ。」

Patarcaのチームで、アレッサンドロは2年間右ウィングのポジションにいた。監督が彼をセンターへ移すのは、1987年のことである。そのとき、ラツィオはディ・ヴァイオを入団させている。その後サンドロの親友となる男。


戦術的な変容は長期間、このチームで彼は4年間プレイする。それから、Roberto Sesena率いるProvincialeのGiovanissimiへ。
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1989年:ネスタはその1年間を不安と焦りと共に過ごす。14ヶ月の間に、実に22cmも身長が伸びたのだ。それが、彼の体に問題を引き起こす。ストップしなければ、カルチョをやめなければならないかもしれない、この尊大な夢の終わりが目前に。
ラツィオは、彼をBanbin Gesu' di Santa Marinella(小児病院)へ送る。そこで彼は医師たちのあらゆる診察を受ける。数々の検査やレントゲンの結果、脊椎、臀部、膝に炎症が発見された。
つらい時期である。心配は膨れ上がるばかり。強い恐れ。復帰は非常に困難だった。アレッサンドロは中学校に通っていた。キャリアを諦め、すべてを捨ててしまうことを考えていた。
彼の頑強な誇りがしかし、彼を突き動かした。回復。問題は解決。
彼はピッチへ戻るのだった。

・・・つづく。La Vita di Nesta 4

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by celeste13 | 2005-11-23 09:32 | La Vita di NESTA
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