La Vita di Alessandro NESTA
Roma;
朝10:30、助産婦は、母親の腕にその赤ん坊をすべり込ませた。
一晩中の陣痛の後、この病院Umberto Iにて、Maria Laura(マリアラウラ)夫人は、アレッサンドロを出産。 量りは4,100gを指していた。
1976年、3月19日のことである。

こうして、ネスタのおとぎ話は始まる。

彼の父はGiuseppe(ジュゼッペ)、Nuovo Salarioの駅で鉄道駅員として働いている。が、家計を更に豊かにするため、水の宅配の仕事もしていた。彼の母親は専業主婦。
アレッサンドロは、Fernando(フェルナンド)、Katia(カティア)に続く3番目の子供。
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家族は、Cinecitta’(チネチッタ、ローマ郊外)、Piazza Salvatore Galganoに面したPalazzo(建物)の3階(イタリアのSecondo Piano)に住む。
ジュゼッペは、RietiにあるCollevecchioの一部、Poggio Sommavillaの出身。Collevecchioは人口2,000人、ここで彼は人生の伴侶と出会い、結婚した。ローマへは1971年に移っている。

ラツィオへの愛は常に、ジュゼッペにとって特別な情熱だった。そしてそれはすぐに、アレッサンドロへ受け継がれる。保育園の頃からの話である。

未来のカンピオーネは、小学校“Margherita Bosco”へ入学。初めての「試合」をその頃行うが、その場所は今もう残っていない。現在そこは、Santa Maria Domenica di Mazzarello教会が建っている。

友人たちは家の前にやってきて、インターフォンを鳴らし彼を誘う。戦いを計画するために。そしてそれはいつも、日が暮れるまで続くのだった。

アレッサンドロ・ネスタが実際に「チーム」というものに入るのは8歳のとき。
そのストーリーはおもしろいものだった。
1984年、9月のある午後。彼の兄フェルナンドが背中に問題を抱えていて、フィジオテラピアで治療する必要があった。医者たちはまた、何かひとつスポーツをすることを薦める。水泳はどうだと言われるが、本人が選んだのはカルチョ。ジュゼッペは、フェルナンドを、Cinecitta'のVia Scintuにあるひとつのクラブに連れて行く。彼らに同行していたのが、アレッサンドロである。
ジュゼッペ・ネスタは、そこで、白い髪を短く刈り込んだ人物、責任者のPiniと話をする。そして、フェルナンドを入団させる。
そのシーンを観ていたアレッサンドロは、突然激しく泣き出した。仲間はずれにされたように感じたのである。
「パパ、フェルナンドにプレゼントしたね。僕のことは考えないの?」
彼らは道を歩き始めていた。アレッサンドロは嘆き続ける。そこで、ジュゼッペは、引き返すことにしたのだ。もう一度Pini氏の扉を叩き、更に30000リラを支払う。
その瞬間、アレッサンドロのキャリアが始まったのだ。



つづく・・・La Vita di Alessandro NESTA 2

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by celeste13 | 2005-03-19 10:30 | La Vita di NESTA
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